早春の石山寺

梅の便りも聞かれるようになったので、石山寺へ散歩に出かけました。
石山寺へは、家から徒歩でユックリと歩いて15~20分。今日は月1回の大津市民は拝観料が無料の日です。
午前9時過ぎに家を出て、通りの風景を見ながらユックリと歩いて、石山寺に着いたのは9時半ごろでした。

いつも前を通っていますが、何時見ても立派な門ですね。
R早春の石山寺 (89)

振り向くと、団体の33か所めぐりの方々が。。。
このあと、つぎから次ぎへと参拝客やカメラを持った観光客が入山してきました。
R早春の石山寺 (84)

さくらのつぼみは、まだまだ固そうです。
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梅園は3分咲き程度でしょうか。
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寒つばきは見ごろでした。
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ぼたんはようやく新芽が出てきました。
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おおつ光くん^^。
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【びわこ観光特派員ブログ⑫】司馬遼太郎・湖西のみちの風景

『・・・「近江」というこのあわあわとした国名を口ずさむだけでもう、私には詩がはじまっているほど、この国が好きである。京や大和がモダン墓地のようなコンクリートの風景にコチコチに固められつつあるいま、近江の国はなお、雨の日は雨のふるさとであり、粉雪の降る日は川や湖までが粉雪のふるさとであるよう、においをこのしている。・・・』

司馬遼太郎『街道をゆく』は全部で43巻あります。
その第1作は「湖西のみち」です。大津あたりから琵琶湖の西岸を北へ坂本、堅田、真野、北小松、高島などを経て、安曇川から川に沿って西へ朽木渓谷へ入り興聖寺までの旅ですが、第16作「叡山の諸道」も参考に、司馬さんの旅を風景で追ってみました。

北国橋。
司馬さんは民族学博士の菅沼氏と画家の須田剋太氏そして編集部H氏の4人で、粉雪の舞う浜大津あたりからクルマに乗り込んだようです。
R湖西のみちブログ用 (10)

日吉大社。
『・・・大宮川が、地を深く穿って境内に小さな渓谷をつくっている。その上に架る御影石の石橋は、橋という以上に大がかりな石の構築物をおもわせた。若い最澄が登って行ったころの道といえば、この石橋の下の小さな渓流によって想像するしかない。・・・』
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日吉そば。
『・・・外へ出ると「日吉そば」とある。何度みても姿のいい店である。角であるだけに車までときに軒下に車輪をかけるのか、路上に大きな自然石が置かれていてそのふせぎにされている。ところが、この「日吉そば」の横に「鶴喜そば」というマンガ入りの彩色の大看板があがっていて、われわれはそれを視覚に入れつつ、つい鶴喜と信じて日吉そばに入ったらしい。・・・』
R湖西のみちブログ用 (12)

穴太積み。
『・・・石組みについてはさきに過ぎた坂本あたりに穴太という土地がある(もっとも全国にこの地名が多く、穴生とか穴穂という字を当てたりするが、古代語で格別な意をあらわす言葉にちがいない)。で、ここの穴太は、「穴太の黒鍬」といわれ、戦国期には諸国の大名にやとわれて大いに土木工事に活躍した。・・・』
R湖西のみちブログ用 (1)

堅田漁港。
『・・・中世では近江の海賊(水軍)という大勢力がこのびわ湖をおさえていて、堅田がその一大根拠地であった。・・・』
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唐臼山古墳と小野妹子神社。
JR小野駅の北西に小高い丘陵があります。現在では大規模住宅地になっている真中に、小野妹子公園として整備され小野妹子の墓と伝えられる「唐臼山古墳」があります。 

『・・・「もう、古墳だらけで、あの丘陵あたり土地を買って宅地造成しょうとしたひとは、かならず古墳にぶつかって、教育委員会とのいざこざをおこしたりします」と、いう旨のことを菅沼氏はいった。・・・』
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北小松の集落。
『・・・北小松の家々の軒は低く、紅殻格子が古び、厠のとびらまで紅殻が塗られて、その赤は須田国太郎の色調のようであった。それが粉雪によく映えて、こういう漁村が故郷であったならばどんなに懐かしいだろうと思った。・・・』
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白髭神社。
『・・・この漁港から湖岸をわずかに北へ行くと、山がいよいよ湖にせまり、その岩肌を石垣でやっと食いとめているといったふうの近江最古の神社がある。白髭神社という。・・・』
R湖西のみちブログ用 (6)

大溝城跡。
近江高島駅前の総合病院の横に「大溝城」の小さな標識があり、そこから細い道をたどって行くと朽ち果てた石垣が見えてきます。
 天正7年、信長の弟、織田信澄が明智光秀の縄張りによって築城しましたが、本能寺の変によって信澄は明智光秀の娘を正室にしていたことから、明智方と見られて大坂で落命します。
 信澄の死後、大溝城には丹羽長秀、加藤光泰、生駒正親、京極高次と城主が替りました。
R湖西のみち (63)

高島平野。
『・・・左手を圧していた山が、後方に飛び去った。この湖西最大の野は近江の秘めやかな蔵屋敷といった感じで、郡の名は高島という。・・・』
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安曇川。
『・・・「安曇(あど)」という呼称で、このあたりの湖岸は古代ではよばれていたらしい。この野を湖西第一の川が浸して湖に流れ込んでいるが、川の名は安曇川という。・・・』

『・・・われわれは西へ折れ、安曇川ぞいの道を川上にむかってさかのぼりはじめた。この道の奥に、南北二十キロという長大な谷間があり、朽木谷といわれる。その谷に着くころにはおそらく夜になっているだろう。・・・』
R湖西のみち (86)

朽木本陣。
『・・・(ーー織田信長は)と、私は信長とこの朽木街道について考えた。(その魅力の最大のものの1つは元亀元年4月、この街道を猛烈な勢いで退却したことにあるのではないか)と、おもうのである。・・・』
R湖西のみち (93)

朽木市場。
『・・・つぎの字は、古い街道町の姿をとどめている。地名は市場と言い、地名のとおりよろず屋があかあかと灯をつけている。
その道路わきを、堅固に石がこいされた溝川が流れており、家並みのつづくかぎり軒が低く、その軒下の闇に古色がこもっていた。・・・』
R湖西のみち (99)

丸八百貨店。
登録有形文化財に指定されています。訪れたときは雪下ろし作業中でした。
R湖西のみち (97)

この旅の終着地である興聖寺へは、積雪のために訪れることは出来ませんでした。


◎この記事は司馬遼太郎・街道をゆく(朝日出版)第1「湖西のみち」、第16「叡山の諸道」を参考にしました。

◎白州正子が愛した近江「小野妹子公園」はこちらです。
◎大溝城跡はこちらです。
◎朽木渓谷はこちらです。
◎道の駅・くつき新本陣はこちらです。
◎BVB特派員レポートはこちらです。

早春の湖西線

好天に恵まれたこの日、雪の比良山系をバックに、久しぶりに鉄ちゃんを楽しみました。
昨年12月にパナソニックのコンデジLX5を手に入れてから今日まで約2か月間、一度も手にしなかったD300でしたが、久しぶりに持ち出すと、その重さ、大きさがなんと身にしみることか(笑)。
デジイチの勘を取戻すまでしばしあちこち操作を遊んでから、ようやく列車撮りでした。


EF-81。そろそろ引退の時期なのに頑張っています。
R湖西線・小野

113系京都行き。JR西カラーはどうもセンスが良いとは思いません。
R湖西線・小野 (1)

485系雷鳥号大阪行き。北陸と関西を結ぶ雷鳥号は、この1編成のみとなったようですが、683系に入れ替わるのも時間の問題です。
R湖西線・小野 (4)

113系ごっちゃまぜ列車(爆笑)。
湖西線は新型特急がひっきりなしに走るかと思えば、こんなのも来るので、面白い線です^^。
R湖西線・小野 (11)

681系サンダーバード。
683系貫通型バリアフリー対応編成車と比べると、こころもち古さを感じます。
良く見ると、貫通型3両ユニットを2編成連結して12両運転ですね。
R湖西線・小野 (6)

この列車を撮り終えたとたん北西から低い雲が流れてきて山が隠れてしまいましたので、撮影は打ち切りました。

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nakataka421

Author:nakataka421
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記述内容に誤りがある場合もありますので、真剣に読まないで下さいね(笑)。足跡を残して戴ければ、嬉しいです。<店主>

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