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立木観音さんにお参り

20数年ぶりに立木観音さんにお参りしました。
立木観音さんは、厄払いで有名な寺。私も41歳の前厄から、本厄、後厄と3年連続で上ったことがあります。そのあとも思い出したように上ったりしておりましたが、800段の急階段、上れるかどうか心配でした。
立木観音1,11 (16)





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祇園祭・山鉾巡行

R祇園祭7.17 (32)

前回の山鉾の組み立てに続いて、祇園祭のハイライト・山鉾巡行です。
今年は仕事の都合で、御池河原町交差点付近で、小一時間の撮影でした。

今年は160年ぶりの復活となった大船鉾を含め、33基の山鉾巡行でした。来年からは、祇園祭本来の姿である後の祭(24日)にわけて山鉾巡行が行われるように変わるかもしれません。

前回の山鉾組立てで紹介した、菊水鉾の巡行の様子です。
高さ約25m、重さ約12tの巨大な鉾を引く曳き手は60人ほど。その他、車方、屋根方、音頭取りなどが、はやし方30~40人を乗せて呼吸を合わせ、3時間ほどかけてゆっくりと都大路を練り歩きます。

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祇園祭・山鉾の組み立て

京都・八坂神社の祭礼である祇園祭が、7月1日から1か月間にわたって執り行われています。
11日からは、祭のハイライトである山鉾巡行(17日)に使われる山や鉾の組立てが市内中心部の一部の通りを通行止めにして行われました。
組み立てにはクギは1本も使うことなく、縄だけで縛って組立てていきます。まさに1000年の伝統のワザです。
画像は寺町通り四条上るで作業中の菊水鉾の組み立て作業です。

R山鉾の組み立て7.11 (28)

他の鉾の組み立ても見学しました。



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雪景色見たさに、貴船神社へ

1月6日あたりを、二十四節気の23番目の小寒というそうです。このあと大寒(20日ごろ)にイチバン寒い季節が来て、2月の初めの立春へと続きます。

小寒のこの日、雪景色が見たくて京都洛北・貴船神社へ行きました。
貴船神社は全国で300社ある貴船社の総本社で、水の神さまをお奉りしています。
また縁結びの神としても有名で、年間通じて若い男女の参拝者が多いようです。

本殿から約700m(15分)ほど山間を歩くと、奥社です。
思ったほど雪はありませんでしたが、気温は3℃前後と、さすがに寒いというより冷たく感じました。
R貴船神社

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岸壁の母、舞鶴引揚記念館を訪ねて

舞鶴市・引揚記念館を見学しました。
涙腺がトシと共に緩くなってしまった私でしたが、それを実証してしまいました;;。

岸壁の母。
第二次世界大戦終結後、祖国日本に帰れずに旧ソ連・シベリアに抑留されてしまった50万人以上の日本人のなかの息子・新二さん。
抑留生活からやっと開放され引揚船で次々に帰ってくる兵士たちを、東京に居住しながら1950年(昭和25年)1月の引揚船初入港から6年間、引揚船が入港する度に舞鶴の岸壁に立って息子・新二さんの帰りを待ち続けた端野いせさん(故人)の通称です。
結局母親のいせさんは、息子・新二さんの帰りを迎えることなく、81歳でこの世を去りました。息子さんの死亡確認書が発行されたのはその後数年経ってからでした。

引揚記念館。
ここにはソ連の極寒の地・シベリアに抑留されたときの生活の様子や、昭和31年まで続いた引揚げの資料などが展示されています。
R岸壁の母 (31)

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京都御所・秋の一般公開

好天に恵まれた11月4日、京都御所を見学しました。

京都御所は、市内中心部の広大な京都御苑の敷地内中央北寄りにあります。
その昔、桓武天皇により都が京都に遷った794年(延暦13年)に造営された大内裏で、その後明治2年に明治天皇が首都を東京へ移すまで、天皇の住居として用いられました。

クルマを寺町駐車場(京都御苑東側)に止めた関係で、御苑には東門の清和院御門から入りました。
御苑の中には、大きく分けて京都迎賓館、仙洞御所・大宮御所、京都御所の3か所の長いついじ塀(御所塀)に囲まれた建物がありますが、今回入ったのは京都御所です。

京都御所東側の建春門です。
このついじ塀に囲まれた中が、京都御所です。
R京都御所 (11)


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中山道・武佐宿

中山道・武佐宿を歩きました。
近江八幡市の山手、国道8号線に沿って位置する武佐宿は、柏原宿、番場宿、高宮宿、愛知川宿と続く、江戸から六十七番目の宿場町として江戸時代に栄えました。
宿場町として最盛期には約八町ほどあったと言いますから、1Km弱ぐらいでしょうか。現在も、街道筋には当時の雰囲気を残す建物や道標などが残っています。


通りはいたって静かでした。時おりクルマが通る程度で、人ひとり出会いません。
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武佐宿本陣跡。今は門構えだけ残っています。
地元小中学生たちでしょうか、町おこしのために作成した案内カンバンが門の横に掛かっていました。
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街道筋らしい家並みです。
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江戸時代には何軒もの旅籠があったようですが、現存するのはこの一軒のみ。現在も料理旅館として営業中でした。
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玄関先に干してあるかんぴょう。
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旧家を利用した喫茶店でしょうか。一休みでもと思って覗きましたが、だれもいませんでした^^。
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大橋家。近江商人屋敷です。江戸時代にはこの地区の役人も兼ねていたとか。
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近江鉄道、武佐駅。武佐宿はここまでです。
電車の姿を撮ろうと思いましたが、待ち時間が40分もあったので、あきらめました。
結局、人も電車とも出会わない静かな宿場町散策でした。
あっ、自転車で下校中の中学生1人とすれ違いました(笑)。
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車折神社

京都太秦・車折神社(クルマザキジンジャ)
鎌倉時代、時の天皇が御車で移動中に神社の前で車輪が小石に乗り上げて車軸が折れたことにちなんで、車折神社と呼ばれるようになったとか。春の嵐山で繰り広げられる三舟祭は、ここの神社の祭礼です。
ここは芸能の神さまとしても人気があり、歌舞伎、舞、歌、映画人など新作発表の成功祈願などに訪れています。

さくらの並木のなか、参道が続きます。ここは春のさくらの隠れた名所でもあります。
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清め水。
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本殿。
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芸能の神を奉る芸能神社。
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境内に並ぶ2000枚以上の玉垣。有名人も奉納しているようです。
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芸能人の写真や名詞などがびっしりと・・。
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さくら並木のなかの細長い参道は、真夏でもひんやりとして、気持ちのいい散策ができます。
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正門(三条通り)から南北に細長い参道の北門は、ランデン・車折神社前駅です。
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ここの神社名【車折】を、「クルマザキ」と呼べる人は、京都の人でも多くはいないとか^^。



中山道・守山宿

日本全国の街道を歩いて尋ねるNHKの人気番組街道テクテク旅がありますが、滋賀は京の隣りに位置するため、古くから重要な街道がいくつも開けていました。
主な街道は、東海道・中山道・北国街道・湖西街道・杣街道・八風街道・朝鮮人街道etc.。
江戸時代になってそれらが整備されましたが、今も当時の面影を残しているものは少なくなってきています。
私もNHKの番組にあやかって過日の猛暑の中、中山道・守山宿をテクテクと旅しました(笑)。

「中山道は、徳川幕府が制定した五街道の一つで、江戸板橋宿を第一宿として、武蔵・上野・信濃・美濃の各国を経て近江国守山宿まで六十七宿が定められましたが、守山は、東下りの第一番目の宿として「京発ち守山泊まり」で旅人に知れわたっていました。
 宿内の街並みは、11町53間(約1300m)あり、人口は、約1,700人ほどありました。」(守山市観光協会HPより)。

旧街道入り口に残されている今宿一里塚です。東京・日本橋から数えて129か所の一里塚があり、ここは128番目の一里塚です。
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江戸時代の有名な浮世絵師、歌川広重もここを描いたとされる、土橋。
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このあたりに本陣があったようです。
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国・重要文化財指定の石塔が、街道脇の木立のなかにさりげなく、ひっそりと立っています。
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中山道は右・・・の、道しるべ。
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東門院。国指定重要文化財、十一面観音立像や不動明王像など、多数の文化財を所有する古刹です。
旅人はここで旅の安全祈願をしたのでしょうか。
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街道筋の旧家。
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旧家を利用した中山道街道文化交流館。いろいろな資料などがそろえてありました。
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旧家の軒下、セメントの割れ目に咲いている、根性ベゴニア!(笑)。これを見て、暑さも忘れました。
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次はどこの街道を歩こうかなァ~~^^。

安曇川流域・鯖街道

前回「清流安曇川・涼を求めて」では主に川の流れを紹介しましたが、今回は川に沿ってくねくねと走るいわゆる「鯖街道」の風景です。
鯖街道はその昔、日本海の新鮮な海鮮を京へ運ぶ道として栄え、とりわけ若狭湾でとれた鯖を主に運んだことで、この名が付いたそうな。

古民家の軒下に残る、鯖街道の標識。
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川向には、かやぶきの家もまだ残っていました。
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鯖街道沿いの民家です。玄関前のこの“木”は、何に役立つのでしょうかね?
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“明王院”の大きな石碑がありました。
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葛川・明王院。
応仁の乱時代、当時の権力争いに巻き込まれた日野富子がたびたび訪れたという(NHK大河ドラマ・花の乱)、比叡山・回峰行の行場。残念ながら、本堂は平成の修復工事中でした。
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このあたりは、比良山系の登山口です。ここから上って、尾根を越えてびわ湖側に下りるルートが一般的です。
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朽木本陣あと。平安時代の昔から、京ー日本海側に抜ける要所でした。
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朽木本陣は残っていませんが、面影は残っていました。
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途中のコンビニで声をかけたバイクの若者。愛用のバイクで趣味の街道旅の途中でした。若者の歴史離れが言われているなか、歴史探索の若者がいると、なぜかホッとします。道中気をつけてネ~~(笑)。
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龍馬を偲んで

大河ドラマ「龍馬伝」が大変な人気だが、にわか龍馬ファンには負けておられない。
龍馬を偲んで霊山護国神社へ出かけたが、やはりたいそうな人気で、人の列が切れなかった。

霊山護国神社の鳥居をくぐると、ここからは「維新の道」の石碑が迎えてくれる。ここには、幕末から明治維新にかけて活躍した人たちが沢山眠っている。
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墓地に入るには、キップ(300円)の購入が必要だ。
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京都・近江屋の二階で中岡慎太郎と語っていたところを、京都見回り組みの何者かに不意打ちをされ、龍馬は絶命。伸太郎も2日後に亡くなったが、二人の遺骨は丁重にここに埋葬された。
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円山公園には、これと同く大きい銅像が立っている。
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隣の霊山歴史館では、「大龍馬展」を開催中だ。もちろん見学した。
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観光客が多いはず。こんなコースもあるようだ^^。
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振り返ると、八坂の塔。龍馬も日夜この塔を見ながら開国に走り回ったのでしょうか。
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冬の吉野山

吉野山が世界遺産に登録される以前の冬に、行ったものです。従って、デジタル撮影ではなく、フイルム撮影をデジタル用にスキャナで取り込んだものです。
吉野は日本で1、2を争うサクラの名所として有名ですが、平安時代に頼朝との権力闘争に敗れた義経の秘話や、南北朝時代には足利尊氏に敗れた後醍醐天皇が一時期隠れ住んだ場所としても有名です。
山頂には、役の行者が建立した、金峯山寺・蔵王堂の巨大建築が威厳を誇っています。

吉野山の入り口、黒門です。
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狭い金峯山寺参道の両側には、「だらにすけ」などの薬草を販売している店や、休憩所・旅館などが並びます。
黒門から500mぐらい歩くと、金峯山寺(国宝)の山門です。
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迫力120%の仁王像が出迎えてくれます。
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金峯山寺(国宝)蔵王堂です。山門と背中合わせに建っており、不思議な伽藍配置となっています。
役の行者が建立したと伝えられ、平安以前の時代のこんな山奥に、どうやってこんな巨大な伽藍が建築できたのか、不思議です。
蔵王堂の中は撮影禁止でしたが、撮影できたとしても、その迫力や神秘的な空気はお伝えできなかったでしょう。
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南北朝時代、足利尊氏に都を追われた後醍醐天皇は、この地でしばらく身を隠したとされています。
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金峯山寺・蔵王権現はサクラの木で出来ています。ここで修行した僧や参拝者は、蔵王権現にあやかりたい思いで、サクラの苗木を吉野山に植えて帰ったのが、今となっては全山サクラの山となりました。
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実はこの2年後の春、サクラの時期に再度訪れています。次回は、サクラの吉野山です。早くスキャンしないと・・・(笑)。


蘆山寺の鬼踊り

京都の節分会の代表行事の一つに数えられる、廬山寺の追儺式鬼法楽(ついなしきおにほうらく)を見学。これは通称鬼踊りと呼ばれ、これに登場する鬼は人間のもつ三毒、つまり貪欲・怒り・愚痴を表現しているそうです。この三毒を運勢の変わり目といわれる節分の日に追い払い、開運をはかり新しい節を迎えるということですが、あやかれますでしょうか。

蘆山寺は、京都府立大学と京都御所の間、梨木神社の向かいにあります。紫式部が生まれ育った寺としても、有名です。
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僧侶がおごそかに本堂に入ります。
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読経のなか、太鼓とほら貝にあわせて、赤青黒の3匹の鬼が現れます。
赤鬼は右手に剣、左に松明を持っています。
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黒鬼は、大きな“かけや”?。かなづち?。
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青鬼は、斧を持っています。3匹でどんな建物でも壊して侵入できる・・と、いうことでしょうか。
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鬼は舞いながら、読経が続く本堂になだれ込みます。
しかし仏の使いが現れ、鬼退治のご誓文を唱えながら、東西南北に向けて矢を放ちます。・・・と。
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悪が払われて、本堂に侵入していた鬼が逃げて行きました^^。
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いやァ、日本の伝統行事は本当に面白い。今年はウチにも福が来るかも・・(笑)。

西国霊場めぐり・第31番札所「長命寺」

毎年1~2ヶ所の観音霊場めぐりを始めて、もう6~7年が経つ。最初は観光旅行をかねて、まず1番札所の、那智山・華厳寺から始まり、距離の遠い方から順に巡ってきたが、残りが滋賀・京都となってから、なかなか進まなくなってきた。
久しぶりの霊場めぐりの長命寺だ。

808段の階段は、運動不足の体にびんびんとこたえる・・。
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やっと境内に到着。少し高い鐘楼からの眺めは、バツグン。桧皮葺の屋根の曲線がなんとも言えず、美しい。
写真奥から、三重塔、本堂、三仏堂、護法権現社拝殿。三重塔と本堂は、国重要文化財指定の建物である。
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本堂で観音さま「千手十一面聖観世音菩薩三尊」(国重要文化財)に手を合わせ、記帳してもらう。
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どなたかわかりませんが、相当古いようだ。
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シャチ瓦
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鐘楼。これも国重要文化財に指定されている。
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赤とんぼも、お参りごくろうさん^^。
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これで残すは京都市内に存在する5札所となった。しかしいつになったら33か所が終わるのか・・。

上野城

梅雨の晴れ間をぬって、伊賀・上野城を訪れました。ここへは約40年ぶりです。
司馬遼太郎は「伊賀の道甲賀の道」、「忍びの者」,「最後の伊賀者」・・など、忍者ものも多く書いていますが、モデルは山を隔てたとなりの滋賀県甲賀地区とここ、伊賀・上野城だといいます。いわゆる、甲賀流・伊賀流です。
以前訪れたイメージでは、“小高い野原の真ん中に聳え立つ天守閣と立派な石垣・・”でしたが、今は城の周りには遊歩道が整備され、住宅がびっしり。。
上野城は、徳川旗本で城普請担当だった藤堂高虎が整備し居城としたもので、城内には藤堂家ゆかりの品々が展示されています。

正面入り口です。
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現在の城は、昭和のはじめに地元の財閥が寄付を受けながら自費を投じて建築し、上野市に寄贈したもので、木造建築としては日本最後の城です。
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首尾
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天守閣の天井には、当時の最高画壇たちの絵がはめ込まれています。
横山大観・満月図。
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藤堂家の家紋が入った、重箱。
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作家、横光利一は、この城のとなりにある尋常小学校で学んだのですが、親交があつかった川端康成もここをよく訪れたようです。
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全国の城の石垣の中でも、最高の傑作といわれる“高石垣”。30mの高さを誇ります。
藤堂高虎は、この石垣を作って、何を思っていたのでしょうか。
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「忍びの者」が・・。
場内に、観覧有料で忍びショーを見学できる場所がありますが、800円!。高!。
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いっぷく茶店には、むかし懐かしいラムネと、くの一の顔出し人形が・・(笑)。
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プロフィール

nakataka421

Author:nakataka421
ようこそいらっしゃいました。
記述内容に誤りがある場合もありますので、真剣に読まないで下さいね(笑)。足跡を残して戴ければ、嬉しいです。<店主>

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